タイトル不明

 平日のランチタイムを過ぎたファミレスは、空席を確保するためにあるようなもんだと思う。
 これが中途半端に混んでると、大人数用のソファーを持て余す羽目になる。二人用の席で優雅にドリンクバーを楽しめるのは、チープな贅沢だ。おなじみのメニューにも安心感がある。
「アリアとここ来るの久しぶりじゃね?」
 ティラミスのバニラアイス添えがいいって頭の中に注文をすりこみながら、連れの顔を見やる。
 ハーフアップにしてあるショコラ色のセミロングは上品だけど、それ以上じゃない。シンプルな黒いコートに紺のジーンズも、デキル女性をいかにもという感じで強調している。
 女友達でハッキリ恋愛対象外と言い切れるのは、彼女ぐらいかもしれない。でも、そんな認識を持ってるからこそ、学生時代から今の今まで腐れ縁で続いたのかもしれない。
「そうだな。ノエルと話すこと自体久しぶりだ」
 青い目は俺を捉えず、一瞥をくれただけでメニューに隠れた。
 感情的な抑揚に乏しいが芯が通った、アリア・ロゼッタの声。思わず、警察とはそんなに女性らしさを削ぐ環境なのか、セクシーな女刑事なんか幻なのかと邪推してしまう。
「ここしばらく忙しかった? 俺は相変わらず、アリアが構ってくれなくてヒマだけど」
「減らず口も相変わらずだな。女なら他を当たれ」
 言われなくてもお前を女だとは思ってねえよ。とは、頭の隅にちらりと浮かぶだけにとどまった。それよりも、相変わらずの問答に妙な安心感を感じる。
「店で揉め事起こせねーし。あ、でもナンパでゲットした可愛いのが一人いる」
「また気の毒な女だな。振られろ」
 へらへらと笑うと、手厳しい言葉が返ってきた。言ってることがちぐはぐですが、疲れが溜まってるんですかアリアさん。だけど、そんな戯言に今更いちいち傷つく俺じゃない。
「さーどうだろ。結構好感触だし、悪くは思われてないと思うけど」
 のらりくらりと交わして、少しだけ真面目を装って答える。と、アリアも毒舌を引っ込めた。人の誠意モドキに誠意で返さずにはいられない、よくできた女性だと他人事のように思う。
「年下か?」
「年上。でもすっげー可愛い。盲目だから助けんの口実にボディタッチできる」
 真面目で簡素な問いに、饒舌と下心で朗らかに裏切った。
 アリアが、親切なまでに明白な蔑視をくれた。倫理的な観点からのお叱りを全部すっ飛ばして、一言。
「最低だな」
 この一言が、今日の彼女の言葉で一番感情的なそれのようで、皮肉だなと思う。
 青い瞳が涼しくて、つい見いってしまいそうだ。けど、それは見えない視線に感じる妖しさにはとても及ばない。
「えー」
「えー、じゃない」
 零して、たしなめられて。そんな可愛らしいやり取りを交わして。
 やがてアリアがメニューを決めて、安っぽいボタンで店員を呼んだ。
 「ティラミスのバニラアイス添えを一つ」と惰性じみた語調で流しながら、俺はぼんやりと昨日のことを思い出していた。

「リスキーなの、好きなんだ」
 俺の抱擁から解放されて呼吸を整えるタイミングで、小さく息を吐くように、彼女はそう零した。
「いーじゃん、危険な香りのする女ってさ。独占したくなる」
 冗談と真剣さをニ対一ぐらいで、囁いてみる。
 彼女に動揺する気配はない。動揺しまいと頑なに構える気配もない。俺の戯言を小さく鼻で笑うのを、ポケットに手を突っ込んでライターを探しながら聞いた。
「男って皆馬鹿だね」
「皆って俺以外の誰?」
 ライター見っけ。胸ポケットから煙草を取り出して火を付けようとすると、「臭いが残るからダメ」と止められた。
 まだ火のついていない煙草の臭いで分かったのか。彼女の顔を見てみるけど、本来眼があるべき場所は白い包帯で覆われている。その包帯をはがしても、眼窩の中身は空っぽか、まともな形をした眼球は嵌っていないんだろう。
 俺の行儀の悪さを窘めたのと同じ調子で、彼女が続ける。
「さぁ、誰かしらね。器の小さい男はモテないよ?」
 少し高い位置から見下ろすような、涼しい言葉。普段は取っ付きやすいお姉さんを気取っているのに、時々淑女らしい言葉使いが垣間見えるのは育ちのせいだろうか。
「男は馬鹿なんだよ」
 煙草とライターをしまって、へらへらと笑う。プライドを投げやって馬鹿になりきって、こんな言葉遊びをしてみるのも、悪くない。
「んで、俺は馬鹿だからクロエしか見えてないの」
 媚びた言葉を吐いて、抱き寄せた。肩に顔を埋めてみると、外気よりしっとりとした体温が心地いい。
 誰にも彼女、クロエ=バルニエのことは話していない。話せば馬鹿だと笑われるか、詰られるかのどちらかだろう。
「面白いこと言うね」
 その言葉は、今まで手にかけた奴らにも浴びせてたのかなーと邪推する。
 俺の妹にも。
 その邪推は、おかしいぐらいに俺の頭をすんなりと通りすぎてくれた。アリアならきっと、胸に痛みが引っかかるものだろうとか言うんだろうな。あいつのそういう感覚は正常なはずだ。
 正常とか、異常とか、どうでもいいけど。
 元連続猟奇殺人犯――クロエが異常だったとして、俺には分からないし。抱きしめた身体はちゃんと女性の形をしていて、細くて。俺は、それだけで構わないし。
「だろ? 俺、クロエのそういう冷めたとこ好き。あんたに目があったら、蔑む視線を思いっきり浴びせてもらえたのにな」
 包帯をそっと撫でると、少し身じろぐ気配があった。けれど無神経さには怒らずに、視線の代わりに言葉で侮蔑する。
「ノエルってドMなんだ」
「ドMでも変態でもなんでもいいけどさ。男って結構そういうので興奮するんだぜ?」
 綺麗な女性のあったはずの目を想像するってのは、それだけ抜き出してみれば芸術的な好奇心だろうし。ミロのヴィーナスみたいな。
「うっわー、気持ち悪」
 彫刻じゃない彼女は、俺の好奇心をあっさりと踏みにじってくれた。
 けど、その侮辱はそんなに痛くない。というより、クロエの侮辱を痛いとか辛いと感じたことはあまりなかった。
 アリアなんかに言わせれば、そもそも俺の差し出してる言葉が軽薄だかららしいけど。
「ひっどいなー。俺はこんなに愛してるのに」
 へらへらと笑うのは癖だ。軽薄なんてとんでもない。俺はいつだって本気だ。
 クロエに囁いた言葉だって、嘘でも冗談でもなんでもない。
「クロエ、愛してる」
 ぎゅっと抱きしめて、耳元で囁いた。
 愛してる。蔑む言葉が、気配だけでくれる視線が。顔が。声が。抱きしめた時の細い身体が。体温が。好き。
「嘘つきだね、ノエルは」
 うっとりと甘ったるい時間に浸っている俺を、クロエがせせら笑う。
「そう?」
 どうしてだか、本気の愛を否定されたはずなのに痛みはない。
「愛してるなら、分かってるでしょう?」
 クロエが、わざとらしく喉元を晒す。強いて言うなら、俺はそういうのが少し嫌いだ。
 愛してるなら、この喉元を掻き切れって言いたいんだ、この元連続殺人犯サンは。
 『俺が彼女を本気で愛して、本気で憎んで、この手で殺すこと』。それが、俺が彼女の側にいるための約束だから。
「俺はクロエをまだ失いたくないから」
「また、嘘ついたよね」
 嘘をついた訳じゃない。
「さー、俺にもどうだか」
 腕の中にある体温が心地いいから。なくしたくない理由なんて、それぐらいで充分だろう。
 今は、そういうことでいいだろう。

 一通りお喋りを終えて、ファミレスを出た。冷たい空気が肌に刺さるのを、ぎゅっと身体を縮めてやり過ごす。
 こういう場でありがちな奢る奢らないは、「アリア奢ってー」と年甲斐もなく駄々をこねる俺を、アリアが「割り勘」と切り捨てる形で丸く収まった。
 別に二次会に行く訳でもなく、どっかに買い物に行く訳でもなく。どちらかが別れを切り出すのを待つまでの、中途半端な空白。
 何もないのも味気ないから、するりと言葉を投げ入れてみた。
「アリア、あんたは俺をクズ男って思ってんだろうけど」
「掃いて捨てた方が世の中のためになるクズ男だと思っているな」
 クロエの侮蔑よりもずっとクールでドライな評価をいただく。今更にもほどがあるそれを意にも介さず、俺は笑う。
「俺にとってはどうだっていいことさ。クズで結構。それ以下になる気はねーし」
「急に何を言い出したかと思えば」
 怪訝な顔は、とてもらしい。俺だって同じ気持ちだ。何ペラペラ喋ってんだか。アリアにクロエのことがばれたら、俺だってお説教じゃ済まないだろう。
「ふと思っただけ。箸にも棒にもかかんねぇクズ兼善良な一般市民として、一生を終えたいなーとか思ってます」
 ブタ箱に入るような人間になり下がる気はねーし。
 愛する女性を手にかけた殺人犯なんて、そんなメロドラマティックな肩書、俺にはにあわねーし。
「その告白を私にした意味は?」
 意味なんか分かりやしねえけどもしかしたら、それは自分に確認を取るためで、
「ねーよそんなもん」
 ヘラヘラ笑ってそうのたまう自分に、鎌をかけてみたんだと思う。